「古道具のささや」
福岡市中央区平尾の古道具屋です。antiqueからvintageまで、日本の古道具、家具、器、石油ストーブ、思いもよらぬモノ、など多数品揃え。商品の入荷案内を中心に古いものにまつわる話あれこれ綴ります…。猫を連れてのご来店大歓迎です。
アイヌ土鈴と韓国土鈴
いよいよ、「土鈴まつり」も明日から開催となっております。本日の前夜祭は北海道と韓国の土鈴について。








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左から「アイヌ土鈴」、「メノコ土鈴」、「まりも鈴」、「熊土鈴」です。熊は可愛らしすぎて犬のようにも見え、なんだかよくわかりません。後頭部に「北海道」と彫ってあります。これも口が×でミッフィーに見えてしまいます。

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後頭部に「アイヌ」。

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後頭部に「メノコ」。メノコとはアイヌの言語で「女の子」といったような意味合いだそうです。共に小ぶりですけれども精緻な土鈴です。




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美しいアイヌ文様の描かれた「まりも鈴」です。阿寒湖周辺で現在おみやげ土鈴とされているまりも土鈴とは一線を画す仕上がりです。札幌市の宇川文昌さん作ですが、お名前から察してもしかするとアイヌの血を引く方でしょうか。

阿寒湖周辺の土をもって阿寒湖に住む「まりも」を模してつくり、表面にアイヌ文様を浮き彫りにして、伝説によるアイヌとまりもの由来を表現したもの、とあります。ちなみにその伝説というのは…


むかし阿寒湖西岸のモノッペというコタン(部落)にセトナという気立てのやさしいピリカメノコ(美しい娘)がいました。このセトナに婿定めの日が来て、定められたのは副酋長の次男のメカニという若者でした。しかしセトナはメカニを嫌い、自分の家の下僕マニペに心を寄せていました。ある日マニペはピンネシリ(雄阿寒岳)に熊狩りに行きそこでメカニに会いました。メカニは突然マキリ(小刀)でマニペに切りかかってきましたが、マニペの力が勝ってついにメカニは殺されてしまいました。しかし、マニペは人を殺した恐ろしさに天を仰ぎ、地に伏して懺悔しましたがやがて阿寒湖に丸木舟を浮かべこの世の名残に芦笛を心ゆくまで吹き、そしてセトナの幸福を祈りながら湖に身を投じてしまいました。マニペの死を知ったセトナは日夜泣き悲しんでいましたが、やがてある日、マニペのあとを追って湖に身を投じてしまいました。それ以来2人の純真な心が可憐な「まりも」の姿となって阿寒湖に漂っていると伝えられています。



「北海道」と彫ってないほうが観賞用としてイケてるという指摘もありますが、おみやげ土鈴ですのでしょうがないですね。




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もう一個「アイヌ土鈴」。

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こちらは木彫りの人形風の土鈴。

北海道のおみやげといえば、もらって困るおみやげの代表、木彫りの熊の人形であります。アイヌ種族ではいろいろな彫刻があるので、熊彫りも昔からあったように考えられがちですけれども、どうやらもともとは熊は彫らなかったようで、玩具や飾りとしてではなく信仰の対象としてごくまれに作ることがあったそうです。おみやげ品としての熊彫りは大正年間に元尾張家侯爵の徳川義親(よしちか)が北海道山越軍八雲町で徳川農場を経営していた折にヨーロッパの農民生活に倣えということで同じく雪深いスイスで冬の農閑期に作られている木彫りの熊を模して作らせたことが元となっているようです。

そして戦後の国内旅行ブームにのって、観光客向けの土鈴やら木彫りの人形やら種々のおみやげ玩具がつくられました。これは日本全国にいえることで、戦後ようやく一般市民も国内の温泉旅行に行くくらいの余裕ができたころと、土鈴収集ブームの波は重なります。古くからあった土俗の玩具に加え、くだらないおみやげ玩具が乱造されたと批判的な意見もありますが、買う人、集める人の審美眼の問題もありますので、自分の心に響くものを連れて帰る気持ちであれば収集も楽しめるのではないでしょうか。









そして、「韓国土鈴」。


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人面ですが…明らかに日本風でないといいますか、韓国の伝統的な仮面舞踏に使われる仮面によく似ています。

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きちんと鈴口があり紐もついている土鈴です。現在は作られていないようですのでおみやげ的な意味で作られていたとは思いますが、韓国で作られていたのかどうかわかりません。すくなくとも、型を作って土鈴にしようと思いついたのは日本人でありましょう。

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そしてもう一点、土偶のような土鈴ですが、これも韓国の「鬼の面」に似ています。







北海道と韓国、この遠く離れたふたつの土地にはふたつの共通点があります。北海道はそもそも北方開拓のための開拓使(明治2年?)以後の国であり、それ以前の話をするのならば、かつてアイヌの民の居住する土地であった、ということ。そして1910年(明治43年)の韓国併合から1945年(昭和20年)の敗戦、ポツダム宣言までは韓国は日本の領土であった、ということ。つまりはともに日本人(倭人)がその領土を広めるために侵攻してきた土地であります。

そしてもう一つの共通点は、日本人(倭人)の侵攻以前からその土地に住む、アイヌの人々、韓国(朝鮮)の人々は共に古来から玩具をもたない民族だといわれていること、です。それいは、子どもが遊ぶための童玩が無い、ということで高い技術を要する工芸品に類するものや、宗教的な意味合いの強い祭神具は多数存在します。一般的に「たかがおもちゃ」と蔑みをもっていわれるようなモノがないといわれているようです。

以上の2つの共通点からかんがみて、いわゆる土俗的な玩具としての「アイヌ土鈴」や「韓国土鈴」は「アイヌの人が作った土鈴」や「韓国の人が作った土鈴」ではなく、日本人(倭人)の作ったものであると言えましょう。なぁんだ、とがっかりされる人もあるやもしれませんが、逆を言えば玩具としての土鈴は日本人であるから作ることができたと考えることができます。信仰の対象としての土鈴と観光土産としての土鈴があるものの、全国各地どこへ行ってもこのような「土の鈴」が売られているということは世界的にも類を見ないことでしょう。このような一見無為な玩具であるがゆえに、これだけの創作意欲あふれる土鈴たちが存在することは平和の象徴ともいえます。

旅の思い出に、お守り代わりに連れ帰った土鈴を、自宅へ帰って来てからコロコロ、チリチリ、と振ってその音色を楽しむ心の余裕を持ちたいと思っています。
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